死の問題を見つめる




 最古にして最強と言われる孫子の兵法には

 非常に合理的な発想が記されています。



生きる意味 孫子
孫子(孫武)(Wikipedia)

 紀元前の人ですが、当時、占いとか、占星学で

 政治も戦争も決めていた時代に

 合理的な発想をし、

 今日のビジネス書にもそのまま活かされています。


 ヴィルヘルム二世が、第一次世界大戦に負けて、

 『これを読んでいたらドイツは負けなくて済んだのに』

 と悔やみました。


 ドイツには、有名な戦争論のクラウゼヴィッツが

 いるのに、それより孫子の方がはるかに上だ。


 では、その孫子に記される、一番いい戦争は何でしょうか。

 百戦百勝、大勝利ではありません。


 戦わずして勝つことだ。


 大勝利がいいように思いますが

 それでも負傷者がでるので

 戦わずして勝つ方がよい。


百戦百勝は善の善なるものにあらず。

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。



 では、最低の負け方は何でしょうか。

 負けるとわかっていて戦う。
 

 これほど愚かな戦いはありません。
 
 ところが、私たちの人生も、最後に

 死ぬというのは死に神の掌中で

 助かった助かったと喜んでいるけど、

 結局助からないのが人間ではないでしょうか。
 

 一日生きたということは、一日死に勝ったということだけど

 結局は負けてしまう。

 負けるとわかっている戦い

 を強いられるようなものだ。
 

 人生は、孫子でいう一番愚かな戦いを

 させられているようなものです。


 負けるとわかっている戦いを

 どう長期戦に持ち込むかということを

 しているようなもの。


助からない状態がのびただけ


 助かった、助かったというのはどういう時でしょうか?


 人質解放されて助かった。

 地下鉄が大変な災害だったけど、私は助かった。


 『助かった』というのは、大抵死なずにすんだ時です。

 車が大破した時でも、

 「よかったよ、助かっただけでも。」

 じゃあ本当に助かったのでしょうか。

 実は、一時的に助かったということ。

 
 「よかったね。一時的に助かって。」

 というのが本当です。

 実際は、助からない状態がのびただけ

 なのです。
 
 

フィリップ工場




 当時、ナチスドイツは、鉄板をプレスする工場がありました。

 同盟を組んでいたので、
 

 一ミリ単位と違わぬプレス技術に驚嘆した日本の技術者を


 ドイツの技術者がからかおうと思って、

 「あなたのお持ちの銀時計をここに起きませんか?」

 置いてみると、

 今まで何万回とやって間違いのない機械とはいえ、

 疑いが起きてきてきました。

 
 そして、すごい勢いでどーんとおちてきます。

 見ると、銀時計の前でぱっと止まっている。

 「いや、すごい精巧な機械ですね。」

 
 今度は、ドイツの技術者は笑って、

 「そんなに信用してくれるなら、あなたの手を置いて下さい。」

 こう言うのです。


 すると、銀時計を置いた時よりも、

 手を置いた時の方が疑いが大きくなります。

 しかし、日本男児は後にはひけません。


 手を置きました。

 すると、どーんと落ちてきた。


 手の上でピタッと止まる。

 冷や汗を流しながら、

 「この機械の信用性がよくわかりました。精巧な機械ですね。」

 というと、
 

 「今度は、あなたの頭を。」

 といった時に、さすがの日本男児も置けなかったと

 言われます。

 
 何万回やって一度も失敗のない機械となっても、

 自分の大事なものはかけられない。

 普段は、死んだら死んだ時だと思っていても、

 本当に自分の命をかけるとなったら、信じられません。


 少々のお金のかかる銀時計なら信用のおける機械でも、

 自分の命をかけて信じられるかというと、

 とても信じられない。


 死に直面すると、人生観が変わってしまうのです。


人生観の訂正




 かつてビートたけしが、大事故にあった時、

 入院中に考えていたことは、生と死の問題だけだった

 と言っても言い過ぎじゃないと、書いたメモを

 出版した事がありました。

 題すれば「人生観の訂正」だそうです。


生きる意味 たけし
ビートたけし(Wikipedia)

 死というものの凄さというのは、自分の人生振り返って、

 何をしたとか何をしてないとかいうのは全然関係ない。

 そんなことはビタ一文かすんないんだよ。


 
 下手するとこれが哲学の究極の目的なんじゃないかって思うね。

 頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全部に

 対しての問題提起なんだ。


 人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方を

 いかにして模索していくかが人生のような気がする。
 

『たけしの死ぬための生き方』 (ビートたけし)



 仏教では、次のように言われています。


 無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり


 『菩提心』とは、

 『菩提』とは、本当の幸福ですので、

  本当の幸福になりたいという心。

 『一』とは、はじめと読みますが、

 『始』とか、『初』とは違います。

 『始』とか、『初』なら、始業式、初場所などのように

 何度もありますが、

 『一』は、一がなければ、二がない、二がなければ三がない

 というように、それがなければはじまらないという意味です。

 

 『観ずる』とは、「感ずる」ではありません。

 見つめるということです。

 この世の常がないこと、いつまでもずっとそのままではなく、

 うつり変わっていくこと、

 そしてやがて自分も死んでゆかねばならないと

 見つめることが、本当の幸福への

 第一歩だということです。


この「本当の幸福」を知る鍵となる

仏教に説かれる「苦悩の根元」を、

1冊の小冊子にまとめました。

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