生きる意味の常識のウソ その13

生きる意味は自己実現



よく、「生きる目的は自己実現」と言っている人がいます。
 そもそも自己実現とは何なのでしょうか。
「やりたいことをやる」とか、
「自分らしく生きる」
「夢を叶える」など、色々な言い方がありますが、
自分の中に眠っている能力を最大限に発揮して、
仕事や、趣味、スポーツで活躍することは、
多くの人が生きる目的ではないか考える、有力な考えの一つです。

「自己実現」というのは、1940年頃に
ドイツの心理学者、ゴールドシュタインが提唱し、
その後、アメリカの心理学者マズローが、
人間は自己実現に向かって成長するとして発展させました。
その自己実現までの段階を、五段階に分けたのが、
欲求の五段階仮説です。

図の低い段階の欲求が大体満たされると、
より高い段階の欲求へと進み、
自己実現に向かうというものです。

 5自己実現の欲求
 4承認欲求
 3所属と愛の欲求
 2安全欲求
 1生理的欲求

この理論は必ずしも現実に合うわけではない
という批判もありますが、
大方のところ、そういう傾向は多くの人に
認められると思います。

こうして、色々な欲求を満たしてゆき、
最後の自己実現をすることが、
生きる目的なのではないかと思う人があるわけです。
ヴィクトール・フランクルの反論

 ところが、有名なヴィクトール・フランクルは、
幸せは、求めれば求めるほど遠のいてゆくように、
自己実現も求めれば求めるほど遠のいてしまうので、
「自己実現は生きる目的ではない」と、
マズローの理論を批判します。
自己実現は、人間の究極目的ではないし、
第一の意図でもない。(ヴィクトール・フランクル)

 なぜなら、自己実現はそもそも、
夢中で自分らしく生きているときに、
無自覚になされていくものであって、
本人に自己実現が意識されるのは、
生きる意味を見失ったときだけだからだ、と言います。
 当のマズロー本人も、この意見に肯定的です。

「人生における使命を見失い、直接的、利己的、個人的に
自己実現を求める人は・・・実際には自己実現を達成できない
というフランクルの考えに、私の経験は一致している」
(アブラハム・マズロー)

 こうして言い出しっぺの本人も、
「やっぱり自己実現は人生の目的ではないや」
と認めているのですが、
その後も自己実現は根強い人気を誇っています。

 では、本当のところはどうなのか、
実際にものすごい力を発揮して、
自己実現をしているように見える人たちに、
やってみた感想を聞いてみましょう。

15世紀イタリア レオナルド・ダ・ヴィンチの場合



 まずは、15世紀・イタリアルネサンスを代表する
万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチはどうでしょうか。
世界で最もよく知られている絵画の一つ『モナ・リザ』をはじめ、
モナリザ
(モナリザ)
彫刻や建築、発明、解剖学、植物学と、様々な分野で
ヘリコプター
(ヘリコプター)
一流の業績を残しましたので、
かなり自己実現しているように見えます。

ところがそのようなすばらしい作品や業績の数々に、
本人はこう言って満足していません。
芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。

人生の最後には、こんな言葉も残しています。
私は神と人類にそむいた。なぜなら本来果たすべき仕事を
やりとげられなかったからだ。(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 

あれだけの天才でも、確かにフランクルやマズローの言うように、
自己実現はできなかったようです。

17世紀イギリス アイザック・ニュートンの場合



 17世紀、科学革命の偉大なる物理学者であり、
数学者であった、ニュートンはどうでしょうか。
天に輝く月や惑星も、木から落ちるリンゴも、
あらゆる運動を統一的に説明したニュートン力学や、
微分積分学を生み出し、現在の科学文明に大きな影響を与えました。
それにもかかわらず、晩年にこう言っています。
 世間にどう映ったかは知らないが、私はただ、
海辺でたわむれる子供のようなもので、
時折、普通よりなめらかな小石か、きれいな貝殻でも
見つけて喜んでいたようなものだった
……眼前には到底未知の、真理の大海が広がっている。
(アイザック・ニュートン)

 ということは、ニュートン力学は小石で、
微分積分は貝殻でしょうか。
あれだけのことをやりながら、単なる子供の遊びで、
まだまだ何もしていないようなものだと、
本人はまったく満足していないようです。
とても自己実現したとは言えないでしょう。

18世紀ドイツ ゲーテの場合



 18世紀のドイツの文豪ゲーテもそうです。
20代で書き上げた『若きウェルテルの悩み』は、
ナポレオンが七回読んだと言われ、
その後の作品にも、モーツァルトやベートーヴェン、
シューベルトやメンデルスゾーンなど、
著名な作曲家がこぞって曲をつけ、名声をほしいままにしています。

 ところがゲーテには、20代の頃から
一生をかけて書き上げた大作『ファウスト』があり、
その中で人生を問うています。
一生を学問に捧げ、満足できなかったファウスト博士が、
最後に魔術の道に入ります。
そこへ現れた愉快な悪魔、メフィストフェレスと、
満足できたら魂を渡す契約で、若返って冒険の旅へ出ます。
まずは恋愛、次に権力、さらには、
どんな英雄もひざまづく伝説の美女と、
メフィストのどこか足りない魔法で次々望みをかなえます。
あらゆる快楽の限りを尽くし、
最後には社会事業にも取り組みますが、
どの瞬間も心からの満足はできません。
絶望はしなくても釈然とせず、心に闇がかぶさって、
方角が分からなくなり、理想を思い描いたまま死んでしまいます。

 そんな作品を、生涯をかけて書き残したゲーテは、
自らも恋多き人生を歩み、文筆活動によって名声を博しましたが、
晩年、友人のエッカーマンにこう語っています。
結局、 私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、
75年の全生涯において、真に幸福であったのは4週間とはなかった、
とさえ断言できる。私の生涯は、たえず転がり落ちるので、
永遠にもち上げてやらねばならぬ岩のようなものでしかなかった。(ゲーテ)

 永遠に岩を持ち上げ続けるのは、終わりがなく、
苦しいだけですから、あれだけ活躍し、生前から高い評価を受けていながら、
ゲーテ自身も、自己実現どころか、
やはり満足さえできなかったようです。

18世紀日本 葛飾北斎の場合



 ゲーテとほぼ同時代、江戸時代は化政文化の代表的な浮世絵師、
葛飾北斎はどうでしょうか。
富嶽三十六景をはじめ、
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏
(富嶽三十六景 神奈川沖浪裏)
何万点もの作品を残し、
ゴッホにも影響を与えて世界的に知られています。
ところが、88歳まで生きて、最期はこんな悔いを残しています。
天があと10年、いや5年の命を与えてくれたなら
真に偉大な画家になれるのだが…。

 富士山を遠景に、荒れ狂う海になすすべもなく翻弄される船、
豪快に襲いかかる大波の砕ける波頭、
その瞬間を永遠に切り取ったたぐいまれな画力は、
他人から見れば、
「それだけすごかったら、もう真に偉大な画家なんじゃありませんか?」
自己実現してるじゃないですか、と言ってあげたくなりますが、
本人にとっては満足できないようです。

19世紀イギリス チャールズ・ダーウィンの場合



 19世紀のイギリスで、進化論を提唱した
ダーウィンはどうでしょうか。
当時、すでに科学革命や産業革命は起きていたのですが、
いまだにあらゆる生物は神によって創造された
と思われていた時代でした。

そんな中、ビーグル号で5年間かけて世界一周し、
やがて自然淘汰の革命的な理論で人々の意識に
大転換を起こしました。

その後、73歳まで生きて、ニュートンの墓の
隣に葬られましたが、今日も多くの人にその名を知られ、
現在の生物学の前提となっています。
それだけ卓越した力を発揮して人類に貢献し、
どれほど満足できたでしょうか?生前、このように言っています。
自分が真実の山をすりつぶして、 一般法則を
しぼりだす機械か何かになったような気がする。(チャールズ・ダーウィン)

どうやらかなりお疲れのようで、
自己実現も満足もできないようです。

20世紀スペイン パブロ・ピカソの場合



 20世紀初頭、キュビズムを創始したピカソは、
征服者のように人生を歩み、
力も、女性も、富も、栄光も手にしましたが、
そのどれにも満足できませんでした。

やがて仕事だけが自分の人生のようになると
「毎日できが悪くなる」と言い、
目指す究極の絵からもかえって遠ざかっていくようでした。
それでも必死で仕事にしがみつき、絵を描き続けます。
十数万点という膨大な作品を作り、
91歳まで長生きしましたが、
晩年にこんな言葉を残しています。
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ。
『さあ、よく働いた。明日は安息日だ』
と言える日は来ないのだ。(ピカソ)

個性的で創造的な才能をどれだけ発揮しても、
自己実現したという満足はなかったようです。

現代日本 村上春樹氏の発言



 現代の日本では、『ノルウェイの森』が400万部突破、
『1Q84』は200万部突破と大ベストセラーとなり、
世界的にも評価されている村上春樹氏は、こう言います。
 自己表現は精神を細分化するだけであり、
それはどこにも到達しない。
もし何かに到達したような気分になったとすれば、
それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。
書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。
         ( 村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』)

 自らの能力を発揮して大ベストセラーを書いても、
何かに到達したと思えばそれは錯覚であり、
別に書くこと自体が楽しいわけではないとのこと。
確かにこれだけの歴史に名を残した
天才達が自己実現できないとすれば、
自己実現したと思った人は、何かの勘違いかもしれません。

 そして、人々の生をかいま見れば見るほど、
それは、定まった場所を定まった速度で巡回している
メリー・ゴーランドのように、
どこにも行けない無力感にとらわれるにもかかわらず、
我々はそんな回転木馬の上で
熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているようだと続けます。

まるで車の輪が同じところをはてしなく回るように
このように、ゴールのない道を
果てしなく歩み続けて苦しんでいるありさまを、
仏教では「流転輪廻」と言います。
車の輪が同じところをぐるぐる回るように
際限がないことということです。

私たちはいつも、何かを求めて生きています。
お金があれば幸せになれる、
もっといい仕事につけば……
恋人があれば……、
車があれば……、
子供があれば……、
家があれば……、
体の調子が悪いところが治れば……
色々なものを求めて生きています。

そしてただでは手に入りませんから、
努力の末、手に入れます。
手に入れたときは嬉しいのですが、
一時的で、すぐに慣れてしまいます。
するとまた次のものを求め始めるのです。

まるで車の輪が回るように、
手に入れては慣れてしまい、
手に入れては慣れてしまい、
求めているものは、
少しずつ変わっていくのですが、
メリー・ゴーラウンドが回り続けるように、
同じところをぐるぐるぐるぐる回って、
本当の安心も満足もないのです。

このことをドイツの哲学者、
ショーペンハウアーは、こう表現しています。

願望はその本性のうえからいって苦痛である。
その願望が達成されると今度はたちどころに飽きがくる。
目標はみせかけにすぎなかったからである。
所有は魅力を奪い去ってしまう。
そうするとまたしても願望や欲求が
装いを新たにして出現することになるであろう。(ショーペンハウアー)

そんなゴールのかげも形も見えない
円周トラックを走り続けるように、
私たちは次々と現れる欲望を追い求め、
流転輪廻を重ねるだけで、
どこまで行ってもどこにもたどりつきません。

やりたいことには限りがありませんが、
命には限りがありますから、
やがて力尽きるときがやってきます。

「精一杯やったからこれでいいんだ」
「頑張っているから仕方ないんだ」
と、思い込むしかありません。

 このように、どれだけ自己実現を目指しても、
死ぬまで自己実現したという満足もなく、
限りなく歩き続けることになります。
人間に生まれてよかったという生命の歓喜を味わうには、
一体どうすればいいのでしょうか?

この本当の「生きる意味」を知る鍵となる

仏教に説かれる「苦悩の根元」を、

1冊の小冊子にまとめました。

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