生きる意味の常識のウソ その11
生きる意味は人それぞれ
もしあなたが、
生きる意味は、人それぞれというならば、
具体的に思い描いているのは趣味や生き甲斐ではありませんか?
価値が多様化している今日では、一人一人の生き方や趣味は
人それぞれです。
たとえば、大学合格、英会話のマスター、スポーツ大会優勝、
恋人を得る、安定した就職、マイホーム、大金持ち、ノーベル賞
といったものではないでしょうか。
しかしこれらは、
「とりあえず今はこれを目指す」という人生の通過駅であり、
「目標」と言われるものであって、
「人生の目的」と言われる
ものではありません。
これらをなしとげれば、幸せになれるのでしょうか。
勿論そんなことはありません。
職業についたら、今度は仕事をしなければなりません。
じゃあどの位仕事をすれば、満足できるのでしょうか。
結果が残せれば、一時的には満足できると思いましたが、
それで人間に生まれてよかった、いつ死んでも悔いなしということでは、
ありません。
歴史に名を残すほど何かをなしとげた人たちに
聞いてみましょう。
●ニュートン
あの、古典力学や微分積分学を生み出した巨人・ニュートンも
ニュートン(Wikipedia)
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「私はただ、真理という大海の砂浜で小石を拾っている子供のようなものだ。」
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と言っています。
●ダーウィン
進化論を発表したダーウィンも。
ダーウィン(Wikipedia)
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「自分が真実の山をすりつぶして、 一般法則をしぼりだす機械
か何かになったような気がする。」
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と満足してはいないようです。
●ジョン・レノン
ジョン・レノン(Wikipedia)
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「ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名誉をえて
何もないことを知った」
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● A・コーン
競争の研究で知られるA・コーンは
「多くのスポーツ選手が、大きな目標を達成したのに、何も
得られず幻滅の深い傷を残している」
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と言っています。
●村上春樹
村上春樹(Wikipedia)
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「書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない」
『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹)
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●ゲーテ
ゲーテ(Wikipedia)
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「結局、 私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、75年の全
生涯において、真に幸福であったのは4週間とはなかった。
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世界的に有名な日本の浮世絵画家、
葛飾北斎も
●葛飾北斎
北斎・富岳三十六景(Wikipedia)
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「天があと10年の命を与えてくれたなら真に偉大な画家になれるのだが…。」
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と悔いを残しています。
●ルノワール
西洋でも、印象派の画家ルノワールは、次のように言っています。
ルノワール(Wikipedia)
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「手足がきかなくなった今になって、大作を描きたいと思うようにな
った。ヴェロネーゼや、彼の『カナの婚礼』のことばかり夢みてい
る! なんてみじめなんだ!」
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●I・シンガー
ビジネスの世界に目を転じても見られます。
何もかも順調に、一生懸命やってたき仕事が、突然ばかばかしく、
無意味に思えてくる人が多い。(I・シンガー『人生の意味』)
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MIT哲学教授の
I・シンガーは指摘しています。
人生の目的は、人それぞれと一般的には考えられています。
100人いれば100通りの人生があると、誰もが思っています。
ところが、そう思って人生をスタートし、
他人から見れば成功している人たちが、このように、
最後、かなり同じパターンの言葉を残しています。
あれ程のことをやったアインシュタインも
アインシュタイン(Wikipedia)
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「あと3年生きたい。あと3年あれば統一場の理論が完成できた
のに…。」
|
と
葛飾北斎と同じ悔いを残しているのです。
これはあまりにワンパターンではないでしょうか。
自分だけに偶然起きたと思うことでも、実は似たようなことが、
みんなに起きていることがあります。自分のことしか知らないだけです。
こういう人生観の人の人生は、実は人それぞれではなく、
実はある一つのパターンから出られないのです。
その証拠に、あなたも、
「人生の目的は人それぞれ、自分のやりたい夢に向かって生きるんだ!」
と思ってはいないでしょうか。
自分が死ぬ時、満足できそうですか?
あなたもパターンを知らない為に、同じパターンにはまってゆくのです。
自分独自のケースだと思いながら……
それが、お釈迦様の
大命まさに終わらんとして懼悔こもごも至る(大無量寿経)
という言葉です。
『大命まさに終わらんとして』とは、臨終にということ。
『懼悔』とは、
『懼』とは死んだらどうなるかわからない、未来に対するおそれ
『悔』とはこれまでの人生に対する後悔です。
ムダな日々をすごしてきた。求めるものが間違っていた。
才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、わが身には
よろこびも満足もない。なぜ心の底から満足できる幸せを
求めなかったのか。後悔のため息ばかりであると
セネカ(二千年前のローマの思想家)も言っています。
セネカ(Wikipedia)
「こんなはずではなかった」と、死を前にした時に知らされる
真っ暗な心に驚く、後悔にちがいないでしょう。
仏教では、この真っ暗な心こそ、苦悩の根元であり、
その真っ暗な心を破って本当の幸せになることが、
生きる目的だと説かれています。
この仏教に説かれる「
苦悩の根元」を、
1冊の小冊子にまとめました。
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