なぜ競争にキリがないのか




※あまり競争しない主義の人は、この項目はとばしてもらって

 けっこうです。
 

「越えなばと 思いし峰にきてみれば、

 なお行くさきは山路なりけり」



この歌をご存じでしょうか。
  
 これは、人生を山登りにたとえています。

 生きるということは、えっちらおっちら

 坂道をのぼってゆくようなもの。

 
 坂道を登るのは苦しいから、

 「あそこまでいったら楽になれる」

 と登ってみると、
 

 そこにはもっと大きな山が広がっている。

 またその坂を登らされ、

 「あそこまで行けば楽になれる、きっといいことある」

 と登ってみると、

 そこにはもっと大きな山が広がっている。


 どこまで行っても終わりがないように、

 「坂登ったんだから、もうちょっといいことあるだろう」

 と思うけど、全然かわらない。

 
 これはたとえば、中学生の時、人間関係に悩んで、

 「こんなのイヤだ、クラスがかわったら楽になれる」

 と思いきや、クラスがかわってもあまり

 変わりぱえしないですよね。

 
 そこで、早く高校に行きたい、高校に入れば中学と

 がらっとかわって、楽になれると思ったら、

 変わったのは、受験戦争が過酷になったくらいでは

 ないでしょうか。
 

 そこで、

 「高校は辛抱しよう、高校を卒業したら思い切りかわれる」

 と期待しても、もっと大変になるばかり。

 
 これを

 「越えなばと 思いし峰にきてみれば、

 なお行くさきは山路なりけり」



といいます。

就職活動、経済的困難、事故病気、リストラの不安、

一つの坂道をのりこえたと思ったら、次の坂道が

やってくる。
  

 「この坂さえ越えたら幸せがつかめるのに」

 と信じて登ってみると、もっと急な坂道が待っている。


 こんなことの繰り返しではないでしょうか。

 それが、日本一、世界一になっても変わりません。

 
 たとえば

 ボクシングの鬼塚勝也選手は、平成四年、ジュニアバンタム級

 世界チャンピオンになりました。頂点に立ち防衛もしましたが、

 充足感は得られず、ずっと最後まで、求めているものが求まら

 ない「くり返し」だったと、告白しています。



 少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。

俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に辿り

つくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。そのこと

だけを励みにここまで頑張ってきました。

 しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。

「エッ、何なのこれ? なんで、何もないんや」「いや、次勝てばきっと 

何かが得られる」そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。

だけど何も残らない。

 試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなか

ったという寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自

分でおりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが

虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。

(『週刊文春』平成六年十一月)


 
 あの生涯六十数度の真剣勝負に一度たりとも負けることなく、

 日本一の剣豪と言われた宮本武蔵も、晩年に

 まだまだ自分は未熟だと言っています。


 高校の部活の県大会に優勝して、自分はまだまだ未熟だと言って

 いるのとはわけが違います。
 

 実際は、達人になればなるほど、自分の未熟さが知らされてくる

 もので、自分は天才かも知れないみたいに思うのは、逆に初心者

 なのではないでしょうか。



 ビートルズのジョン・レノンも、



生きる意味 レノン
ジョン・レノン(Wikipedia)

ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名誉をえて

何もないことを知った。


 と言っています。
 
 これを、ノーベル賞を受賞したラッセルは、幸福論に、


生きる意味 ラッセル
ラッセル(Wikipedia)

もしも、あなたが栄光を望むなら、あなたはナポレオンをうらやむ

かもしれない。しかし、ナポレオンはカエサルをねたみ、

アレクサンダーはたぶん、実在しなかったヘラクレスをねたんだ

ことだろう。したがって、あなたは成功によるだけでねたみから

逃れることはできない。歴史や伝説の中には、いつもあなたよりも

もっと成功した人がいるからである。『幸福論』(ラッセル)


 とも言っています。


では、なぜ競争にきりがないのでしょうか。



 ひょっとして、何かを手に入れたら、一時的には満足できるの

 ですが、すぐになれてしまうからだとあなたは思いませんか?


 いえいえ、そんな程度ではありません。
 

 欲望が満たされない人は、満たしたのですが、

 満たすと満たしたくなくなるのかというと、

 もっと満たしたくなります。
 

 満たせばもっと満たしたい。

 満たせば二倍の度を増してかわく。

 満たせば満たすほど満たされないのです。


 
 これを仏教では、『渇愛』とも言われます。
 

 非常に広い大海をちっぽけな船で漂っていると、

 のどがかわいてきます。

 あまりにもかわいたのでうるおしたい欲求にかられますから、

 塩水を飲みます。

 塩水には、水分が含まれていますので、一旦は、のどをうるおします。

 ところが、海水には塩分が含まれてますから、よけいにのどがヒリヒリ

 して、のどがかわく。

 海水を飲めば飲むほどかわいゆき、やがて死んでしまうのです。
 

 なぜ競争には、きりがないのか。

 欲望を満たすことはできないからです。
 

 しかも、限りある命で無限の欲を満たそうというのは、

 大変危ないことです。

 では、一体どうすればいいのでしょうか。



この答えを知る鍵となる

仏教に説かれる「苦悩の根元」を、

1冊の小冊子にまとめました。

まだの方には、ダウンロードURLとパスワードを送りますので、
今すぐご覧ください。


メールアドレス:


 また、最新の情報もメルマガ(いつでも解除できます)で配信しています。


また、もっと詳しく知りたい方には、勉強会もあります。

生きる意味 勉強会のご案内